KODOKU-孤独-
古代インドの教えで人生は4分割に例えることができると。
日本人にもよくあてはまるという「人生区分」というものです。
大まかに25歳までが「学生期」50歳までが「家住期」、さらに75歳までが「林住期」、そしてそれ以上が「遊住期」。
以前五木寛之氏が出版した「林住期」は熟読し、とても安心させられた事で、自分の活動がやり易くなった事があります。
今回「孤独のすすめ」の中ではそれぞれの「期」の間、どうやって過ごすかがわかりやすく書かれていました。
五木氏だけでなく、人生を登山に例える事は多く思います。
五木氏曰く、「学生期」「家住期」は頂上で見えるであろう素晴らしい景色ためを見る、または、この山を制覇するためにただひたすら上だけを見て1歩1歩と登っていく。
でも登山で一番大切なのは高い低いに関係なく下山するテクニックが必要だと。
それが「林住期」「遊住期」にあたり、高度成長期までは下山に対して興味を持つ暇はなく、ただ上を目指して必死だったのですが、現在は寿命が延びて、50歳になってもまだまだ夢を持てる、そして、若々しく活動できるようになってきましたが、やはり、60の声を聞くとどうしたって体の方が衰退的進化をしていく。
前置きが長くなりましたが、「林住期」に入ったと思ったら、頂上を目指すのではなく、今度は「死」を目指して、下山する方法を手探りしながら、時にパニックを起こし、時に迷いながら、自らが今どこにいるのかを明らかに究め(諦める)ながら、そうやって最期の苦しみに備える。
人は一人で生まれ、一人で死ぬ。
それ以上の孤独はないと思っています。
一人で過ごすことと孤独には大きな差があります。
それは、自然が関わっているか否かです。
生れる死ぬは当然ですが、生きている間に関わる全ての人、そして空、風、海、山、その辺に生えてる花や草、鳥、虫などなど、数えきれない命に囲まれて生きていると感じさえすれば、孤独で寂しいなんてことはないのかもしれません。
ちょっぴり恥ずかしくても、寂しいと思ったら、何にでも(電化製品でも)話しかけると良いと思います。黙って話を聞いてくれます。
私は雪ちゃん(猫)に話します。
ディベートの時代が懐かしいと思うのは自分だけでしょうか。
誰かを論破するなんて、まるで意味のない事。
人間は人口の数だけの個性で成り立っているのだから。
どうぞ、ご自分を卑下なさらず、そのままでいてください。
おのずといろいろ答えは出てくるのでしょう。
そういう時は思いっきりパニくりましょうよ。
ねっ!みなさん。