No one knows

猫と私とどこかの誰か

前回のブログから今日まで。

長い2か月。
とむの居ない世界は信じられないほどつまらなく、そして寂しかった。
それでも一時的なことだと信じて、今日こそはという毎日を過ごしました。
何度も、自分の人生はここまでだと思い込んだり、体調の悪化も影響して、こんなに辛いのなら死んでしまいたいとも思いました。
それを押とどまらせるのは、息子と雪ちゃんの存在。
また応援してくれている友人の存在。
私が死んでしまったら、私の念をずっと引きずってしまうだろうという概念から、今ここに留まっています。

とむとくぬにが居たから14年間突っ走ってこれました。
うつ病になっても、2匹がいてくれたから前向きでいられました。

もっと長生きした猫の話を聞くと、自分の何がいけなかったのか責めました。
けれどそれは考えても仕方がない事。
すべて仮定の話になってしまいます。

たられば。

振り向けば、いつも惨めな自分をあざ笑う自分と、嘆く自分が交差しています。
それが辛い。
胸を張って「幸せです」と言えない。
例えば境遇、思考、展望、全てが極めて危うい場所にある気がします。
今、隣で雪ちゃんが邪魔をしてきて可愛いです。
今後はそうやって小さくとも大きい幸せに焦点を当てて、1歩1歩やっていくしかないですね。