No one knows

猫と私とどこかの誰か

悲しいくらいお天気

毎朝訪れる、過去への贖罪の心が苦しいです。
もういっそ消えてしまいたい、と思っていると必ず愛猫雪ちゃんがゴロゴロ言いながらすりすりしてくれます。

芸能、音楽の世界は頑張ったからといって報われる世界ではないですね。
承認欲求が強いのでしょうか。
どうしても心が晴れてくれません。

大好きな音楽を聴いていても、最終的に自分は1度もブレイクしていない事で、同じミュージシャンとしての自信が持てないでいます。

良い曲かどうかは千差万別答えがないでしょ?
だから評価された曲が良い曲と定義づけられてる気がします。

かと言って、毎週100人近い方が動画を観てくださっている事実も忘れてはいません。
100人って凄い。
そう言い聞かせています。

今日もお買い物に行った後、曲作ります。
沢山作って、こんなモヤモヤな気持ちを払拭したいのでした。

いつもありがとう。

 

無題

なんだか本当に嫌になってしまう。
自分の歌が、音楽が、自分自身で嫌になってくる。
我儘を通して生きてきた。
だから何とか形にしたいと思うのはごく普通の考えではないでしょうか。

今心から思う事は、とむに会いたい。
毎朝猫たちの遺骨にてを合わせるのを辞めたい。
辞めるととんでもなく悲しくなる。

生きづらい。

じゃ、どうするの?

ピキる。

「ピキる」とはカチンとくる意味合いで現代っ子が使っている言葉です。

いやぁー、ピキりましたよ。
毎週毎週日曜日の大切な時間に心身削って、ぎりぎりでやってるのに、ザッピングしながら自分の配信観てる人に、他の動画と同じ音量にしてください、と言われたんです。
しかも、生配信おわってすぐ、「今日もありがとうございました。」とTwitterで呟こうとしたところ、Twitterではなくツイログ的な、こちらのタイムラインには反映されないところで、いかにも上から目線で言われたんです。
私はその方の言葉、誘導に凄く傷つきました。


でも、ありがとうございます、と言い返しました。
この方がどういう毎日を送っているのかはわかりませんが、その方の優越感を壊したくなかったから。
関係を持ちたくないから。

何故傷ついたかと言いますと、自分を知って頂くために無料生配信を2年弱してきて、まだこんな事言われるくらい価値の無い人間で、音が小さいから登録者が増えないんだと言う人が存在するからです。

でも、昨夜の配信後2名も登録者様増えてました(笑)

怒りは抑えてはいけない感情です。
喜びもそうです。
だから私はここで吐露いたしました。
ごめんなさい。

もうその方とは関わりませんのでどうぞご安心を。

みんな自由

杉本彩さんの発言について思う事がある。

「ペットを飼っていたら100万円の貯金」を持つ必要性があると。


先天性、後天性に関わらず、その子(犬、猫)があるままの姿で見送る心を持ち合わせているのは人間だけだ。犬猫は自殺出来ない。

犬、猫、病気を患った時に、きっと「何か身体おかしいな?」って思っています。
人間のエゴで生きていて欲しい気持ちはとってもわかります。
が、しかし、通院、検査、入院のストレスは、犬なら飼い主、猫なら慣れ親しんだ部屋でなすがままの方が安心、通常です。
飼っている子のために何百万円と使って消えゆく命を先延ばしにするのは違うと思う。

治らないなら治らないとはっきり言える獣医師が居ないことが問題なんじゃないんですか?

何故人間の命より、人間を癒し勇気をくれたパートナーアニマルに超高額な医療費を請求するのですか?


くぬには顎と左足を外科手術を薦められました。
何もしなかったら3か月。
外科手術をしたら、半年。
あなたなら、どうしますか?

 

母は、スキルス性胃がんでした。
手を施すことはできませんでした。
ただ、ひたすら看病しました。
そして、宣告通り、逝きました。


自分に出来ることが他人にもできるだろうという考え方。

押し付けないで頂きたい。

曲が作れる。

今日1曲できた。
以前なら出来た曲を聴きながらビールでも飲んで、後で息子に聴かせようなんてウキウキしたものだ。

なのに、今の気分は最悪です。
良く考えると、今までの曲も失う事への恐れを作っていた。
だから曲を作るという事は、死ぬほどつらい事が未来に起こるかもしれないという気持ちを孕んだ感情表現だったという事。

もう誰も失いたくないし、失った時の気持ちをこれ以上背負えない。

それでも私は曲を作るのだろうか。
新しい曲を。
それとも、昔の曲に自分を見つけ、立ち止まるのだろうか。


To be, or not to be, that is the question

ファンとして出来る事。

私が歌手になろうと思うきっかけとなり、そしてアルバム単位でのクォリティの高い音楽を発信し続け、60歳を迎える芸歴42年の大スターのファンである自分が、当たり前のようにお言葉をおかけするなんて、到底できないけれど、大好きな聖子ちゃんが悲しみに溺れてしまわぬよう毎日祈り、いつまでも待つ。
これが私に出来ることです。
沙也加ちゃんも最期ご両親に抱かれて、さぞ待ち望んでいた再会でしたでしょうに、悲しい3人だけの時間になってしまいました。
それでも沙也加ちゃんは嬉しかったのではないのでしょうか。

勝手な憶測で文字を羅列してしまいましたが、21日のご両親お二人の姿を観て、知人にもいましたが、親より先に子が亡くなるという事以上に悲痛で悲しい事はありません。

ずっと待っています。
今までの聖子ちゃんのように不死鳥のごとく舞い戻ってきてくださるのを。

もう本当に無理なさらないで、今は最高に愛した娘沙也加さんとどうかできれば神田正輝さんと時々会って思い出話をしながら、これからをゆっくり過ごされるといいなぁと願ってやみません。

1つ

凄く心に落ちてきた気持ちがあった。
私も片親で育ち、先日息子にも片親である事を責められた。

「パパとママ、二人で迎えに来て」

というのが本音ではないでしょうか。
こんな時だけはと。