No one knows

猫と私とどこかの誰か

日に日に

日に日に頑張った分の疲れが翌日、翌々日に酷く残るようになりましたが、これは一過性の事だと思っています。
何故なら、消去法で考えると思い当たる節があるからです。
その節とは帰らない日々への贖罪の重たい責務が頭の中を支配している事です。
自ら罪だと認識している過去の出来事だけではなく、無知が故の事故や問題未解決など、夜眠りに就き、明け方に途方もない呼びかけが耳元で囁くのです。

しかしながら、嬉しい出来事もまだまだ起こり、世界は自分がやりたい事のためのシステムが構築されつつあります。
テレビやラジオなどの大きなメディアに出なくてもこじんまりとした活動なら、様々なツールが世の中に転がり始めたからです。
どれを使っても恐らく同じ程度で成長していくと思っています。
そこから大手が目を付けのし上がるシステムです。

昭和のようにオーディションの時代は終わったのかもしれません。
なんでよく知りもしない大手事務所の大人にダメ印をつけられなくてはいけないのかと若者は考えるでしょう。
今の子はテレビよりスマホを見ます。
子供だけじゃなく、電車の中でスマホを見ていない人はほとんどいません。
ですから一度気に入って頂けたら、裏切らない活動を続けて、自分らしさを探し続けることで、周りも自分も小さい発見を楽しめる時代が来たのだと感じています。

 

ですので、疲れが残るこの症状を改善して、最後の踏ん張りを続けたいのです。
常に自分は時代と反比例していたように思います。
体と活動が反比例しないように気をつけなくちゃなぁと。

 

体をコントロールしているのは脳である事を忘れずに。