No one knows

猫と私とどこかの誰か

5/22はとむとくぬにの誕生日 祝生誕18歳

とむとくぬにへ

二人とも生きていたら18歳だね。
2003年、母やディレクターやねぢが立て続けに逝った魔の年。
その夏近所で生まれた5匹のアメショー(ママ)とアメリカンカール(パパ激大)の間の生まれた中で行き先が決まっていなかった残りの2匹。
それがとむとくぬに。

ママパパのお宅にお邪魔して、真っ先に耳がカールしたシルバータビーのくぬにに一目ぼれ。
飼い主さんにこの子にしますと告げると「この子は残っちゃったから家で飼うわ。でももう一回産ませたいの。」と。
無邪気にパパ猫と遊ぶとむを見て息子が「2匹飼えばいいじゃん。」と提案。
その頃は相当落ち込みカオスの中にいたので、息子良い事言うじゃんって思って、実際そうすることに。
その経緯に至っては息子に本当感謝している。

ねぢを荼毘に付してから、落ち込みは酷くなり、大量下血を引き起こしていた私の体を2匹の無邪気な姿にみるみる元気を取り戻させ、フルタイムへ復職できるまでになった。
もっと言うと、病院代やご飯代をと思い、朝と夜両方働いて、休日も働いて、悲しみを吹っ切ることが出来たのです。
もちろんその後も人生色々ありましたが2匹がいるというだけで底知れぬ自信を持つことが出来ました。
インフルエンザに罹った時、くぬにがタワーのてっぺんからジャンプして私に飛び乗って来た時のあの強烈な痛みは今でも忘れられません(笑)
2匹が我が家に来てすぐ、お向かいのお宅が火事になった時、網戸が開いていて、2匹の姿も見えなくて、裸足で近所を探し回ったら、ベッドの下に2匹で小さくなっていた事、今思い出しても笑えます。
新品のカーテンも2匹でよじ登りすぐにぼろぼろ。
くぬにの発情期は大変なもので、私は翌日仕事でもなんでも抱っこして腰をぽんぽんしていました。
ねぢの看病に比べたら楽なものでした。
2006年冬うつ病となった私は彼らと24時間ずっと一緒にいました。
食欲はなく、体中が痛く、何をしても涙が止まらず。
会社も休みがちになって、生きづらくなって。
でも相変わらず2匹は元気にプロレスしていました。
2017年8月まで。
私たちは最高に幸せでした。
2011年の地震の時も停電した部屋の中で2匹と一人で寄りそいあってPCの明かりでなんとか過ごしました。

とむもくぬにも最期はとても苦しそうでしたが決して不幸な顔はしていなくて、それだけが何となく救いになっています。
「あんまり泣かないでね!」とむは最期に私の目を見た時そう言った気がします。

今は雪ちゃんと仲良く楽しくやっているのを、私を包む空気の中で元気に見守っている2匹を感じながら生きています。
だから、死んじゃったけど、お誕生日おめでとうって言いたいです。
本当に生れてきてくれてありがとう。
早く逢える日を待ちながらこっちでの務めを果たすよ!
だからもう少し、待っててね。

とむとくぬにのお母さんより