No one knows

猫と私とどこかの誰か

一番嫌いな言葉

「きっといつかは」

この言葉にぶら下がって「夢」とやらを追いかけ、映画「フォレスト・ガンプ」の中でジョギングを急に止めるかのように立ち止まったとき、自分の人生って結局なんだったんだろうと急激に奈落へと気持ちが落ちてしまったのです。

私は生まれも育ちも経験も普通とは違います。

ネグレクト虐待出身、芸能界、音楽業界、女、36歳で初めて本当の社会で働く、うつ病歴11年、躁うつ病歴3年、心の友は人間ではなく猫、犬。

これが普通であるなら、この世は地獄だ。

同じようにやってきて、同じようなことをしていても、幸せそうに50代を満喫している友人は結構いる。その反対も結構いる。

成功しているとか、生活が安定しているとか、そういうことじゃない。

黙っていたって死に向かってまっしぐらなのに、50の声を聞いてなぜ「きっといつかは」と思わなければならないのか。

まずはそこを否定することから始める。

もともと否定派です。

睡眠導入剤が効いて、記憶が途切れ途切れになる23時が大好き。

このまま目覚めなければいいのにと心のそこから願って布団に入る。

一応猫たちにさよならを言ってから。

 

でもこれが起きちゃうんですよ、朝。

猫の体内時計はめちゃくちゃ正確。

5時30分ですよ。

地獄の1日の始まり。

やること?たくさんありますよ。

私曲が作れるので、コンペ曲を作ったり、作詞したり、部屋掃除したり、猫と遊んだり(これが結構一番疲れる)。

やりたくない。

もうやりたくないって言ってるんです。

身を削って作った曲が2年間拘束されて、なにも音沙汰なしとか、掃除しても毎日きちんとまた汚れているとか、出かけなきゃいけない日に大雨とか。

友達との食事の約束もその日が来ると行きたくなくなる悪い癖とか。

もうう====んざり。

そうは言っても頑張ったんですよ、私。

飛び込みで仕事もらったり、イオンモールで歌ったり、金持ちおっさんと食事してタニマチにしようとしたりね。

マジでこれもう終わってるでしょ、わたし。

昨年14歳の愛猫を失って以来、人間不信なんです。

特殊な癌で動物病院ジプシーしたんです。

4軒回ってただの一人として親身になってくれた獣医はいなかった。

名前を挙げたいくらい。

唯一救われたのが、往診をしてくれた杉並区の斉藤先生。

彼が登場しなければ、愛猫と一緒に逝っちゃってました。

今日はざっくりここ1年の話をぶちまけましたが、「きっといつかは」はもう私の辞書にはないという意味を、おいおいブログにあげていきます。

頑張っている人、ごめんなさい。