No one knows

猫と私とどこかの誰か

とむ回顧録

それはやはり雪ちゃんが風邪をひいて、エリザベスカラーを付けて辛そうにしていたのを心配していた時から始まっていたのかもしれない。
雪ちゃんのくしゃみを一身に受けながらおでこを舐めてあげていた。
予防接種は受けていたので、移ってもそうそう大事にはならないと高を括っていたのだ。
雪ちゃん完治後間もなくくしゃみをしだしたとむ。
でも風邪の治療をしても悪くなる一方で。
そんな中、いろんなシグナルを私に送っていたことに今になっていろいろ気づいてきたので回顧録として残すことにした。

例えば、発症から3日後、愛用していない櫛が使っている最中に折れた。
数字で書くと94。
苦しみから解放されるんだね、ととむに笑顔で言う私。
今思えば苦笑いしていたように思える。


病院に行き点滴と注射の処置をされると少しだけ元気になった。
そんな瞬間とむは、部屋中を歩き回っていた。
そして自分の匂いを一生懸命付けていた。
私の作業机、雪ちゃん展望台、ピアノの椅子の上、ロフトの上。
足腰が弱ってきた最近、もうあまりやらないであろう行動をいくつもしていたのだ。
その度に凄いねぇ、と頭を撫でた。

ここ最近、アマニ油を好んで舐めていた。
それも飲むと調子が良くなると信じていたのか、懸命に舐めていた。
擬人化はできないが、それは間違いないと思う。

最後の苦しみ方は凄かったけど、22日からお気に入りのテーブルの上で淵をぐっと掴み物凄い力で踏ん張っていた。
喋らないとむにとって、私への信号だったかもしれない。

22日から30日の間、少しでもとむの傍を離れようとすると、びっくりするくらい追いかけてきて、行かないでと懇願している眼差しに、常に後ろ髪をひかれていた。
働きながら看病をする飼い主もいる中、私ととむは非常に安定した中で闘病できたのではないかと思う。

うんちだって最期の日まで小さくとも出ていたから。
新しい髭、新しい爪も生え始めていたから。
目がきらきらしていたから。
病院なんかに連れて行きたくなかった。


でも正反対に日々痩せていった。
日々意識が遠くなっていた。


最期の日のお昼から18時18分までの苦しみは長かったようで、短かったようで。
17年という長い月日が自然と行く道を判断してくれた。

私がとむのおでこにキスをすると代わりに私のおでこをペロッと舐めてくれるのが、愛情表現としての日常だった。
死んでしまう2日前までしっかりそれをやってくれた。

 

今日はここまでにします。
頭の中はすっきりしているのに、心が灰色なんです。
時間はかかるけど、雪ちゃんと一緒に前を向く。

追記:優しいファンの方が、ブログにお金の事を書いたためか、CDを4枚も買ってくれた。
夜中に目が覚めて、何気なくメールを見て気づいた。
嬉しかった。嬉しくて涙が止まらなかった。
人間もまた素晴らしいと感じずにはいられなかった。